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更新日:2023年2月28日

釈迦如来立像(美術工芸品・護法院蔵)

釈迦如来立像の全体像

釈迦如来立像のある愛宕山護法院は弘治二年(一五五六)に現在の川俣町にある頭陀寺の末寺として創建された。

一説には天正十八年(一五九○)に創建されたとも言われる。

明暦二年(一六五六)には相馬中村藩より寺領八石を賜っている。

この立像の厨子には「施主熊川清兵衛長治妻」の文字が刻まれており延宝六年(一六七八)の年号が見える。

熊川家は相馬中村藩の上級家臣で、代々家老などの役職を勤めた家柄であった。

元和六年(一六二○)、草野舘城代であった岡田兵庫死去に伴い、代わりに熊川家が城代を勤め大倉・草野・松塚・伊丹沢などを知行地とした。

幕末にはこの寺で熊川家が、岡田兵庫の二百五十回忌の法要を行った記録もあり、寺との関係は深い。

立像は四十九センチと小柄ながら金箔が施してあり、端正な姿である。

光背は丁寧に彫り込まれており、このことから江戸や京都の仏師による作との見方もある。

釈迦如来立像の上半身部分


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