しえるふぁーむ 花井由貴さん

飯舘村&花農家との出会い

震災時、福島市で介護の仕事をしており、利⽤者の⽅々と激しい揺れの中、無我夢中で対応に追われていたように思えます。その後、腰を痛めて退職し、新しい仕事に就こうと思って、職業訓練学校で勉強しました。
同じ時期に、飯舘村から避難⽣活で福島市にきていて、コンピューター関連のスキルを⾝につけるために同じ職業訓練校に通っていた夫と出会い、結婚しました。

結婚後、私は⼯場に勤務しはじめていたところ、飯舘村が避難解除になり、義理の⺟から「村の復興⽀援策で新しく栽培ハウスを建設することができる。これを機に、あなたたち夫婦で花の栽培をやってみたらどう?」と提案がありました。

私⾃⾝、農業など全くの未経験者ですし、技術系の仕事ばかりしてきた⾃分につとまるのか? そもそもあまりにも急な話で当時は混乱しました(笑)
そんな顛末を実家の両親に相談したところ、飯舘村はトルコキキョウの栽培が盛んで有名なこと、私が幼少の頃、⽗の実家(農家)に憧れて、「私は農家に嫁いで農家の嫁になる!」と意気込んでいたエピソードを聞かされました。

⾃分ではすっかり忘れていましたが、そんなこと⾔っていたんだと思い、農業で新しい⼈⽣をスタートする。それもいいかな、と思い始めました。
ずっと会社勤めで⾃営業への憧れもありましたし、相談したいろんな⽅々に背中を押されつつも、当時、飯舘村は⾵評被害の真っ只中でしたし、農産物は課題⼭積な状況なのは⼗分理解していました。
でも、花だったら⾷品じゃないので営農再開もしやすいかな?なんて発想になって、2018年に決⼼しました。

花農家デビュー、苦労の連続へ

ここまでの流れだと、当然、主⼈と⼀緒に花農家をスタートすると誰もが思うのではないかと思いますが、夫は猛反対。彼は農家に⽣まれ幼少の頃から⼿伝いをさせられていた記憶から、農業の⼤変さが染み付いており、「花の栽培をやるなら⾃分だけでどうぞ」 なスタンスでした。

そんな状況で夢を抱いてスタートした⾃営業・花農家ですが、それはそれは苦労の連続で、全く上⼿く⾏きませんでした。
そんな私を⾒るに⾒かねた夫が、遂に⾃営業を⼀旦休業し、⼿伝ってくれるようになったほどです。現在(2022年12⽉時点)、⼆⼈とも花農家とアルバイトを掛け持ちでやっています。
ある程度覚悟はしていましたけれども、農業で⽣計を⽴てていく現実はとても厳しいものですね。1⽇も早く、花の収益で⽣活できるようになりたいです。

今までの反省や、やってみて分かったことを整理して考えた結果、2023年は、私は花をメインに、夫は安定収⼊の定職に就き、⽣活を安定させつつ、花の収益を上げていくのが⽬標です。

作付けした花を「出荷しきる」、「作付けの品⽬を増やす」、「ロスをなくす」、といった事が課題だと考えています。
花に愛情を持って接し、毎年毎年反省を重ね、⼀歩ずつ前に進んでいるという実感はあります。

しぇるふぁーむの「ブーケ」で、⽇常に癒やしを

私のこだわりは、「買ってきてそのまま花器に⼊れれば形になる」ように、花を束ねていること。 ⼿間やコストはかかりますが、売り場にたくさんの花がある中で私が作った花を選んでくれる⽅々を思って、出荷するようにしています。
今後は、私のお花を購⼊してくださった⽅々と繋がりたいと思っています。

「仕事」・「⼦育て」・「農業」が継続できる村へ

飯舘村での就農当時、現役を引退した農家の先輩⽅から「よくやってるね」と褒められました。当時は花農家として全く上⼿くやれてない私なのに、何故そう⾔われるのか、よく分かりませんでしたが、彼⼥たちは⼦育てしながら農業をする
事の⼤変さを経験してきた⽅々。今まさに⾝に染みて痛感しているのですが、そんな私を励ましてくれていたんだな、と思えるようになりました。

震災後、もともと住んでいた⼈が戻ってこない事実があるので、それ故に移住や関係⼈⼝を増やしていくことに注⽬し、村として打開策を⾒出そうと取り組みが⾏われているんだと思います。
新しく移住される若い世代の⽅々を増やしていくには、私⾃⾝の経験から、「仕事」と「⼦育て」というのが重要なポイントになると思うんです。

例えば、⼦育て⽀援に⼿厚い村は魅⼒的ですし、⼦育てしながら農業を続けられる村なんてどうでしょうね?
農業はとても⼤変な仕事ですけれど、「飯舘村は、⼦育てしながら農業ができる制度や環境が整っている村!」 と紹介できるようになっていくと、⼈⼝増加につながっていくと思います。
そんな未来を⽬指して、私⾃⾝が成功事例になれるよう、これからも頑張ってやってみようと思います。

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しえるふぁーむ
Instagram:@yuki.871family