いいたて佐藤いちご園 佐藤博さん

営農再開、第⼀号になるまで

私は飯舘村⽣まれ飯館育ち。ずっと⽣業として野菜と⽶を⽣産していました。
「イチゴ栽培」には、平成16年から取組みはじめ、当初は2世帯で、⽶・野菜班、イチゴ農家と役割を分担して作業していました。
震災当時、⼆枚橋のエリアは避難指⽰解除準備区域内だったので、避難⽣活中も避難先の福島市から通って、飯舘村で農業を再開するために準備をしていました。
準備していた期間は約5年。ハウスの張り替えやプラントの⼟壌⼊れ替えなどしながらの避難⽣活は、再開させたい思いはあれども、次々と不安が襲ってくる⼼境でした。

⾃⾝の⽣業は、「農業」

再開しても⾵評被害で販売できるのかだろうか?
栽培しても売り先が無い状態でどうすればいいのだろうか?

再開に苦労は伴うけれどもやってみよう、と思えたのは、「飯舘村が故郷であり、その地で農業をすることが⾃⾝の⽣業なんだ」と思えたから。

ただ、私が農業を再開させようとした当時の飯舘村は、除染作業の真っ只中で、路地栽培はまだまだ再開できる環境ではありませんでした。
ならば、ハウス栽培のイチゴであれば、事前の試験栽培で出荷基準をクリアできるのでは無いか?、と考えました。

⽀援⾦や補助⾦など、政策的な農業⽀援が決まるまで待つべきだ、というアドバイスを多くの⽅々からいただきましたし、営農再開するという⾏為⾃体、村内から批判の声が上がりました。⾵評がまだまだ収まっていない、世の中に汚染された村として認知されてしまったこの地の農産物を⽣産して出荷するということは時期尚早なのではないか?、ということでした。

しかし、私の考えは、1⽇でも早く⽣産を再開して、基準値をクリアしたイチゴを作って出荷する。そうした実績を作ることこそが、飯館村の未来に寄与するんだ、と信じていました。⾵評や憶測レベルの批判に負けたらおしまいじゃないで
すか。

2014年、イチゴ栽培の再開へ

2014年、⾃費でのスタートを切り、試験栽培・検査をクリアしました。
しかし、売るぞ!と思っても、販売先の確保ができず、とても苦労しました。

暗中模索と⾔いますか、必死で営業しました。そしたら、名古屋の業者さんから「購⼊したい」とお声がけをいただいたんです。とても嬉しかったですね。当時の私には、とても励みになりました。

そうした取組みが現在評価されて、震災前の取引先の⽅々が戻ってきましたし、出荷量も戻りました。新規で応援してくれる取引先も増えました。
今は、⾃分の信念で再開させたことが、「飯舘村で農業再開できますよ」といった情報発信につながっていると実感しています。

飯舘村の美しい⽥畑の景⾊を取戻したい

私が誰よりも早く営農再開したのは、震災前の美しい飯館村に戻したいという⽬標があってこそ。

新たに就農される⽅や移住してくる⽅々と共に、協業しながら交流を深めていく中で、⾃⾝の原体験にある飯舘村の⾵景を少しずつ取り戻して⾏きたいですね。
新しいイチゴの品種にも挑戦するなど、体⼒が続く限り頑張ります。