赤石澤 傭さん

15代続く、飯舘村の暮らし

ここから見渡す限りの畑と山、これが俺の畑なの。
飯舘村生まれ、飯舘村育ち、享保元年から15代続く農家で俺は15代目。ずっと飯舘村で農業をしてる。震災までは家族みんなで暮らしていて、畑を8町歩、あと田んぼ。秋には自分の田んぼ以外にも米の収穫作業を請け負って3300俵くらいこなしてたね。

震災があってから、息子夫婦は福島市へ、孫夫婦は郡山市へ、自分達は川俣町に避難して。家族と農業の仲間達もバラバラになっちゃって。俺は、やっぱり自分の屋敷や田畑を荒らしておくわけにはいかないから、川俣町から通って畑の手入れをしてたの。
作付けできなくても、全部うなって農地はキレイにして、避難解除になったらすぐに再開できるように。
除染も催促して早めに段取りしていたから、水田の再開も他の地区よりも早かったと思う。
「絶対に飯舘村に帰ってきて。農業を再開させるぞ!」 って思いが俺は強かったからね。

やっぱり、飯舘村がいい

今はハウスで花を栽培して、野菜は色々作付けしてる。
さくらんぼは5年前に苗木を植えて収穫できるようになったし、この山にはイチョウを300本植えて銀杏を取ってるんだよ。
あと、今年はうどを植えてみたの。多角営農の先駆者だったからね。若い頃に色々勉強したんだよ。畑を有効に利用して、暇なく何かしら収穫できるよう段取ってね。
今もそのやり方が染みついてる。
毎日運転するし、農業機械も操作する。仕事は誰にも負けないつもり。若い頃からずっとやってきたから今年85歳だけどまだやれるつもりでいるわけ(笑)。

道の駅までい館ができた当初、初代生産者の会会長なんて役職に任命されちゃって、当時は風評被害が強くて誰も農産物を出荷したがらなかったんだけど、俺と、斉藤次男さん、斎藤タツ子さん(副駅長に要確認)くらいで直売所が始まったんだわ。
それからだんだん出荷する人が増えてきてね。今のまでい館の売り場は色々あって楽しみだね。

こうして村に戻ってきたのは郷土愛、これに尽きる。やっぱり飯舘村がいい。
この土地を先祖から預かって、耕して収穫して稼いで食べてきたんだもの、この土地を荒らしておくわけにはいかないんだわ。俺の15代で途絶えてしまいそうだな・・と思うこともあったんだけど、最近孫が「じいちゃん、やっぱり田畑があるのはいいね。俺が退職したら農業と土地を引き継ごうかな?」って言ってくれるんだよ。
彼らが引き継いで再開できるように、俺が生きているうちは尚更キレイに手入れしておかないとな!って思うわけよ。
どうなるかまだわからないけど、これは楽しみだね。