株式会社ゆーとぴあ 山田豊さん 

故郷、飯舘村に戻ることを諦めたくない

震災が発生する1ヶ月前の2月、福島県主催の畜産の研修で、ニュージーランドに10日間行っていました。刺激を受けて帰国、やる気満々だったところに震災が。

ちょうど臨月を迎えていた妻の体調を最優先して避難生活に。
連日放射能やセシウムの危険性を誇示する報道ばかりで気が滅入り、もう飯舘村で農産物を作ることはできないのかな、と思いました。
私は食用の牛を飼育する仕事をしていましたから、報道だけ見ていると絶望的でしたね。 避難先で新しく畜産を始めることも考えましたが、それはとても大変なことで、費用と時間をとても要するし、そこで畜産をするということは飯舘村には戻らない、という決心をすることになります。

当時の飯舘村は混乱した状況下でしたが、故郷に戻ることを諦めたくない自分がいました。

家族全員が将来に対して不安を抱える中、せめて僕が仕事にありつけて働いている姿を見せることで、少しは安心させられるのかな、と思い就職することにしました。
この就職にあたっては、将来、飯舘村で畜産を再開させる前提で、来るべき時に役に立つ新しい知識と技術を身につけようと考え食肉加工業者を探し、独自性の強い食肉に仕立てて、レストランなどの飲食業界や一般のお客様へ販売している京都の精肉業者さんにご縁をいただくことができました。

当時長女は一歳半、震災時にお腹の中にいた長男は生まれたばかりでしたが、長女が小学校に入るまでと決めて家族四人で京都へいきました。
最初の2年間は仕事を覚えるのに必死でした。
社長も、僕に故郷に対する不安やネガティブな思考を抱えさせないようにと気を遣ってくださり、次から次へと新しい仕事を任せてくれ、3年目から食肉加工の面白さや食肉に対する知識がどんどん増えていき、とても充実した経験をしました。

父と息子をつなぐ「畜産業」への想い

自分が京都で新しい仕事に就いている間、父親は牛を連れて中島村(福島県)に避難していました。乳牛を廃業した施設を借りることができたので、自分の牛達を連れていくことができたのです。
後で聞いたのですが、僕が飯舘村で畜産を再開する意思があることがわかったから、牛を処分せず飼育し続けたそうです。父は飯舘村の農地維持と復旧をさせようと、中島村から飯舘村に通いながら作業を続けていました。

その後、飯野町(福島市)で元養鶏場跡地の物件が見つかり、牛達と父は飯野町へ引っ越しました。飯野町〜飯舘村を通いながら、以前と変わらず復旧作業を続ける日々を続けました。

長女が小学校入学を控えた頃、京都でお世話になった会社を離れ、最初の避難先でもある福島市に戻って来ました。この時点ではまだ飯舘村に戻るつもりは無かったですし、村での牛の飼育は時期早々だと考えていました。父は飯野町に新しい住まいも取得していましたし、ここで再開することになるのかな、なんて思いつつ、福島市内から飯野町へ通って父の牛の飼育を手伝う生活が始まりました。

そんな中、2016年のある日、父から突然、「飯舘村に牛を放す」と話がありました。
とても驚きましたし、僕自身の畜産業再開プランがあったんですけれども、現在に至るまでこうして父が引っ張ってくれたおかげで畜産を続けてこれたので、早速準備がはじまりました。

飯舘村では牛の飼育に関して何の基準も指標も決まっていない状況下だったので、福島県の管理の元、試験的に定めたエリアで牛を3頭ずつ放牧させ、土壌や、牧草、牛の血液などを検査し、セシウムなどの放射性物質の移行状況についてデータをとる試みが始まりました。3年ほど検査を続けた結果、除染が終了していて、表土や牧草からセシウムを検査し、基準値以下のエリアに限って、牛を放牧させる許可が出ました。2021年の7月のことです。

新たなる「飯舘牛」 ブランドづくりへ

飯舘村での畜産がようやく再開し、2022年の4月に飯舘村に新しく家を建て、父親と私たち家族が一緒に暮らしています。
避難生活中に母親とおばあちゃんが亡くなってしまったのがとても残念でなりませんが、ようやく一家揃って元の暮らしに戻ったような気がして、ほっとしています。
僕の肌感覚なのですが、飯舘村での生活が長かった人ほど、震災で辛い思いをしているし、戻って再開させようという思いが強いような気がします。
何もない土地や山を開拓して、畑や牧草地にしてきましたから。その苦労や要した時間も思い出も捨てきれない、それはすごくわかります。

まさに新しくスタートを切ったところなのですが、畜産業も僕なりに新しくアップデートしようと考えています。
京都での経験から、消費者に買ってもらえる「肉」という食材に対する考え方が変わりました。京都で5年間精肉業者の下で働いている間に一頭だけ、本当に素晴らしい肉の牛に出会えたんです。それを食した経験が忘れられません。
そのときに「自分でもこんな牛を飼育できたら・・・」、「飯舘村の牛がこのくらいの品質になったら・・・」と想像するようになりました。
誰もがこの牛肉を食べたら、「死ぬ前の最後の晩餐は牛肉」っていうだろうな、ってくらい凄い肉だったんです!

今、食肉の世界は工業製品化していて、早く・ロスなく・大きくしようという考えになっています。しかし、自分は育て方・肉作りを見直し、京都で学んだ、「食肉にするために捌いて骨から外す作業も食味に影響を与えることをふまえて、時間をかけて丁寧に作業する」知識と経験を活かすためにも、繁殖〜肥育〜解体・加工〜販売まで自分達の牛舎で完結してみたいと考えています。(2023年5月開業予定)
ファームtoテーブルの精神で食卓、消費者の目の前まで責任を持つということ。
かつてそれなりの認知度があった「飯舘牛」が、既に途絶えてしまったと市場で思われていますが、僕のやり方で復活を遂げることができるよう、毎日牛達と向き合っていきます。

お肉の購入希望の際は、下記までお問い合わせください。

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肉のゆーとぴあ(福島県相馬郡飯舘村松塚松塚65)

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