畜産農家(繁殖)伏見義雄さん

私は飯舘生まれ飯舘育ち。
建設業に従事しながら兼業で家業の農家を手伝っていました。
父親は牛を2〜3頭飼い、葉タバコをメインに農業を営んでいましたが、私はタバコ農業の手間が嫌でね。畜産を積極的に手伝いました。
葉タバコなんか辞めて畜産業を大きくして本業にした方がいいんじゃないかな?なんて考え出したのもこの頃です。
親から農業を譲り受けたのが30歳の頃だったと思います。ようやく畜産業で生計を立てられるようになりました。

震災が来たのは私が51歳のとき。母親は震災前に他界しており、年金暮らしの父親と避難生活でした。
できれば沼尻の牧場に自分の牛を避難させたかったんだけど、仔牛の繁殖牛は引き受けてもらえなくて、臨時の競りでみんな引き取ってもらいました。

避難生活は福島市で。避難生活中は養豚場に勤務していました。
飯舘に戻れるとも思ってなかったし、勤め人生活にすっかり慣れた頃に避難解除になって。父と相談して帰村することにしました。
飯舘村の家を建て替え、完成したタイミングで避難解除から1年遅れで帰って来ました。

元の生活を取り戻すって意味も含めて畜産業を再開しました。毎月2頭づつ買い増しして、震災前と同じ頭数に戻しました。
あまり深く考えないで再開してしまいましたが、気づけばもう6年。牛の仕事を再開しないでぼーっとしていたら、ボケちゃってたかもしれないし、自分自身の人生も良い方向には転がって行かなかったんじゃないかな?なんて思ったりします。

収入だけじゃなくて、精神的な健康を保つためにも、慣れ親しんだ故郷と仕事を再開させたことは正解だったよ。
村内で畜産業・飯舘牛の復活という気運が高まってるようだけど、産業として安定させ、大きくしていくためには、担い手の確保が絶対必要。そのために村主導で、新規参入の障壁を下げるとか、補助を手厚くするとか。牛舎建築補助の下限が50頭から〜じゃなくて、それが20頭から〜になっただけで、参入してくる畜産農家はだいぶ増えると思うんだよね。
家内産業で一人で管理できる頭数は20頭前後。50頭だと大家族とか従業員を雇わないと運営できないですよ。

担い手が増えることを願うばかりです。若い人たちに期待したいですね。
自分も産業復活に貢献できるよう、頑張りたいですけれども、寝ないで仔牛の出産に立ち会って面倒見てた若い頃と比べると、生き物相手の仕事、仔牛の出産は待ったなし、休みがないからね。体力的な苦労はこれからキツくなる一方でしょうから、70歳過ぎたらどーなるんだろう?って考えますよ。そこまで働いたらちょっと遊びたいかな。それまでは頑張りますよ!