鮎川農園 鮎川邦夫さん

秋田県から、福島県 飯舘村へ

私は秋田県出身で、飯舘村へ来るまでは会社員で情報システムの設計を担当していました。
情報システムが企業に普及していくための技術的黎明期から携わったシステム設計は、新しいことを模索し構築してそれなりに楽しかったのですが、なんと申しますか、例えば、日常での運用しているシステムがコマンド一発で全てリセットされてしまうような出来事があるんですね。 当時、私が不在の時にその事故が起きまして・・・。当然前日までのバックアップは取ってあるので、それを戻して今日のデータを再度入力すれば復旧は出来るのですが、「この仕事は切ないな」と痛感したのを覚えています。一瞬ですべてが消えてしまうことや、さらにシステム構築は、何十人のチームで行うので、そのマネージメントが大変でした。

そんな職業柄だったのか、一次産業である農業に憧れがありました。
農業は一人でできて、実物が目の前にあり、その成長が自分の目や手で感じられたり、収穫してその量の少なさに驚いたり、多く採れたときは感激出来る実態のある仕事で、第2の人生に農業を選択した決断はよかったと思っています。

退職前から秋田県内を始め、各地に農地を探し始めました。
新規就農で何も分からず、いざ農地を求めて農業をスタートさせるとなると、さまざまな制限や制約を受けることが多かったです。そんな中、出会ったのが今の飯舘村にある畑です。
福島県には縁もゆかりもありませんでしたが、不動産会社が案内してくれた飯舘村のこのロケーションに一目惚れしました。
周りを山に囲まれて、一面に広がる自分だけの畑。そこにログハウスを建てたら秘密基地のようでワクワクし、2004年の11月にこの村へやってきました。

飯舘村の生活が起動に乗り始めた時、震災に

当時は新規就農に対して今ほど手厚い政策や支援もなく、独学で無農薬・有機栽培を学びながらスタートを切りました。

少しずつ農業に慣れ始めたころ、退屈していた妻には、知人の工房で菓子やパン作りを進め、当時の「もりの駅まごころ」で販売していました。
しばらくして、米粉パンを作って販売していた人が辞めることになり、その後継にパン繋がりで妻にやらないかとのお誘いを受けたのですが、何しろ学校給食にもパンを出さないといけないとのことで、妻一人ではとても対応できず、パティシエをしていた娘家族も呼び寄せ、彼女たちはパン作りに励む日々を送っていました。

私自身は、新たな作付け品目としてジャガイモやいいたて雪っ娘かぼちゃの作付けに挑戦し地元のスーパーでの販売もできるようになり、生活が起動にのりはじめていました。この時期に、震災が発生したのです。

私たちは独自に避難し、故郷の秋田県方面に向かって車を走らせたのですが、燃料が尽き果てそうになり、途中で断念。その地点から最も近い町、新庄(山形県)の避難所にぎりぎり辿り着き、身を寄せて生活をはじめ、1年後、山形県の大石田町に物件が見つかり移住を決意しました。

山形で新しい生活をスタートさせましたが、農業に対する思いは捨てきれず、隣町で農地を70a借り農業を再開しました。しかし、土壌が良くなく、緑肥などでやっと何とか作物が育つようになったものの、規模拡大を目指し借用を予定していた畑が土砂崩れで復旧が進まない事態に。土壌の改良に費用と労力がかかることなどを考えた時期に、飯舘村は避難解除になっていたので、飯舘村にある自分の畑に労力等をつぎ込むほうが将来的になる!と考え直し、村などの補助事業を利用して農業拠点を戻すことにしました。

ただ、除染のためとはいえ作土が剥ぎ取られ、その後に川砂が入っている畑の姿に、作付けは無理と一時あきらめかけていました。しかし、夏になり雑草が繁茂している状況をみて、何とかなる、と思い、試験栽培をした結果、農作物に放射能の影響がなかったことがわかったので、飯舘村で農業生活を再スタートしました。

もち麦、「はねうまもち」との出会い

やっぱりこのロケーションは最高。近所の人からも「ここはよいね!」と言われています。
以前は小麦を栽培していましたが、市場価格が安価でとても採算性がありませんでした。
山形で私の作るかぼちゃは無農薬・有機栽培なので形が揃わずB級品扱い。地方ではまだまだ無農薬・有機栽培に対する市場の価値が確立されていませんので、なかなか厳しい。とはいえ、収益性を担保して、大好きな農業を続けていきたいので、何かいい作物はないか探し続けていたところ、「もち麦」に出会いました。
元々日本では南方でしか作付け出来ないものでしたが、長野の農業試験場で「ホワイトスノー」という寒冷地でも栽培できる品種が開発され、これに改良を重ねて「はねうまもち」という品種が誕生していました。
私は早速、種を買って試験栽培を始めたところ、これがうまくいきました。
作付けは3年目でやっと何とかものになったような気がします。このもち麦を使った加工品(ポン菓子、ポンチョコレート)も評判が良く、これからは、収量の増加、粒ぞろいを目指していきたいと考えています。
この地は他品種の栽培が無く種子生産に適しており、私は、種子を販売できる契約を締結しているので、種子販売も頑張りたいです。

村農産物を無駄なく、価値ある加工品へ

農業と併せて「もりの駅まごころ」とのご縁で、2021年からここの運営を委託されているNPO法人みちの駅まごころ運営協議会の会長を務めさせていただいています。

農産物は形が悪いから出荷できない、色が悪いからはねられるなど出荷前にロスが出てしまう問題が常に付き纏います。ここでの取組みは、そういった作物を加工品として市場に再度出荷することで、ハネ物でも十分農産物として価値があるものに引き上げることができると考えています。
それと季節物の農作物も加工によって通年出荷できる商品になり得ます。
村の協力で、ようやくスタートしたばかりですが、事業拡大していきたいですね。
こうした農業を中心とした事業が増えて、村の産業となることで、帰村される方、移住者や交流人口増加に繋がると考えています。

息子が愛知でエンジニアをしていまして、技術者としてのストレスと闘っているようなので、いずれ移住して、こっちで農業やりなさいよ!と勧めたいと思っているので、彼らが生活できるよう、基盤を作ることも私の役目だと思っています。

<お問い合わせ>
あゆかわ農園HP :https://ayukawafarm.jp/