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いいたていちごランド 菅野知幸さん
家業の「イチゴ農家」になる
私は飯舘村出身ですが、震災前まで福島で会社を経営していました。
震災後は復興の仕事に関わりたいと考えて、福島市から南相馬市に移り、約2年間、測量の仕事に従事してきました。
飯舘村が避難解除になる知らせを受けて、故郷に戻ることにしました。きっかけは、避難生活で疲弊し、毎日報道されるニュースや放射能の話題に完全に参っていた両親が、家業である「イチゴ農家」を続けることを諦めかけている姿を目の当たりにしたからです。
「ここまで拡充させてきたいちご栽培農業を、このまま終わらせるのは勿体無いしなんとか継続させる方法がないものか?」と考えた結果、「高齢な両親の健康上の問題も考慮しなければいけない時期でもあったので、だったら自分が引き継ごう。」と決意しました。
決心はしたものの、今まで「イチゴ栽培」は全くやったことがありません。
2017年に就農して現在6年目になりますが、 当時は何もかもが大変でした。まずは震災で絶たれてしまった販路を獲得する営業活動に奔走しました。
慣れないリモートでの売り込み活動に苦戦しつつ、電話や新規訪問など、毎日取り組みました。
そして、父に指導してもらい、イチゴ栽培にも取組みました。
栽培の難しさ、奥深さを痛感し、これまた悪戦苦闘の連続です。
イチゴが言うことを聞いてくれないんです・・・。
生産コントロールはとても難しく、出来すぎたり、採れなかったり・・・。
品質も味も然りなんですが、トライ&エラーの連続です。モチベーションは、お客様からの声
安定した品質と収量確保を目指し、今も日々奮闘中しているのですが、そこにたどり着くためには、経験を積むことでしか解決できないと感じています。
ある先輩イチゴ農家の方には、「20年はかかるんじゃないかな~」なんて言われました。まだまだ先が遠いです。ただ、初めて経験する農業は、苦労や難題ばかりではなく、今までしてきた仕事とは違った魅力や満足感を感じています。
それは、農作物は1から全工程を自身で管理し、作業・調整・出荷まで行えるのが魅力で、自分が手がけた農作物を直接販売し、消費者と繋がり、反応を得られるというのも醍醐味ですし、喜びでもあります。そこにやりがいを感じます。「いいイチゴですね!」「美味しいイチゴだね!」なんて声をいただくと、モチベーションがとても上がりますし!
イチゴ栽培が盛んな村へ!
飯舘村の食文化として、村の農産物を使って料理や商品を開発して魅力を発信したいですし、我々の苗を共有して移住した方々にイチゴ栽培を教え、新規就農していただき、イチゴ栽培が村を代表する産業になったら素晴らしいな、と思っています。
今は、原町から通いながらイチゴ栽培をしていますが、子供が独り立ちしたら、飯舘村に戻ってこようと考えています。
イチゴ栽培に従事しながら、飯舘村を盛り上げていきたいと思います。