高野笑子さん

震災から村と共に歩んだ復興農業

東日本大震災があり、避難生活を余儀なくされたのですが、私たちは牛を飼っていましたので、引き取り手を探したり、環境を整理したりするために4ヶ月ほどかかりました。
福島市に本格的に避難したのは、その年の7月頃でした。ただ、避難してまもなく、行政主導の稲作の試験栽培、モデル除染に協力することになりました。
元々我が家では、稲刈り後の玄米をモミのまま保存しており、それを主人が自発的に発芽させ、線量を測ってみようとしていたのです。
そうした考えがあったので、表土を剥いだままの盛土をしない田んぼでの試験栽培や、モデル除染区域の水田に苗を提供し、試験栽培の仕事を請け負うことになりました
なので、農作業避難先から通って続け、不安に駆られながら生活をしていて、全く落ち着くことはできませんでした。

「うずら」との出会い

避難解除となる日は待ちに待った瞬間でした。やはり、飯舘の自分の家がいいですし、村で生まれ、村で育った私には居心地がいいです。20173月31日に解除になって、夫婦での再スタートが始まりました。
稲作中心に、トマトのハウス栽培、自家用野菜、避難先で借りた畑でやってみた椎茸の菌床栽培も本格的に取り組むようになり、今では水田と並ぶ主要品目になっています。
帰村して元の生活を取り戻し始めたある日、夫婦でテレビをみていたら、愛知県のうずら農家が特集されていて、有精卵を孵化させながら多角的に展開する農場でした。主人が「有精卵と無精卵で味に違いがあるのか興味がある」といって、その農家の卵を取り寄せたんです。私は、卵の味よりも、自分であたためたら孵化するのかとても興味がありました。早速、24個の卵が入る孵化器を購入し、取り寄せた有精卵をあたためてみました。そしたら、15羽の雛が孵ったんです。これを機に孵化器を増設し、最近は70羽ほどに増え、うずらの卵を出荷できるまでになりました。
うずらは、雄の方が繁殖率が高いことから、今後は設備と環境を整えて、うずらの肉を出荷できるように進めていきたいです。

飯舘村復興は、まだまだ始まったばかり。村には移住者が来てくださり、農家、畜産に従事していらっしゃいます。一方で、元々村にいた若い方々が帰村していない実態があり、こうした方々が「戻ってこようかな」と思えるような魅力があれば、村に帰ってきてくれるのかな?と思います。
帰村しているのは高齢者が多く、私の息子夫婦もそうなですが、若い人達は避難先で新しい生活をスタートさせているのがほとんどです。私たち夫婦の生活は、誰に頼まれたものでもない、震災以降、ずっと除染や試験栽培に協力してこの村で稲作を続けていたのも自分の意思ですし、帰村して5年、忙しい毎日を過ごしていますが、体が動くうちは今やっている仕事を継続することで、生きがいを見いだしたいと考えています。

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高野笑子
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