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Cocitto(コチット) 高橋洋介さん
埼玉で生まれ8歳のときに川俣町へ引っ越してきました。
小中高と川俣町で過ごし、仙台の大学へ進学。卒業後は関東で働いていた私が飯舘村と関わるようになったのは、40歳を期に、会社を辞め、親がいる川俣町へ戻ってきたことから始まります。それが今から4年前、母親が飯舘村役場で働いており、飯舘村について日々色々と話を聞いている中で、「飯舘村って産品はたくさんあるんだけど、村を代表するお菓子がないんだよね」という話になりました。銘菓、土産菓子、菓子というワードに閃き、自身の経験を活かしてお役に立てるかもしれないと思い立ったのです。
警備会社の営業職だった私と菓子作りが結びつかないと思うのですが、大学時代に学校へラスクで有名な山形のシベールという会社の社長さんが講演にいらっしゃいました。
講演の内容は興味深く、合わせて大学の近くに新店舗を出店するので、アルバイトも募集します!という告知もありました。
早速そのアルバイトに申し込み、働き出したのが私と菓子作りの出会いです。工房付きの店舗で販売をする側、見よう見まねではありましたが、興味が湧いて自分でも焼き菓子を作ってみるようになりました。学生終了と同時に、そのアルバイトも終わりましたが、趣味としての菓子作りはその後もずっと続いていたんです。
代表する農産物はあれど、郡山の薄皮饅頭みたいな、お茶受けや他県へ出かける際の手土産ですね。飯舘村にはこれがないのかと。
同じタイミングで職を探していた私に地域おこし協力隊のお誘いをいただき、いいたて村の道の駅までい館の社員として働くことになりました。
売り場で目にする「なつはぜ」や「いいたて雪っ娘かぼちゃ」、その他加工品などを見て「これをベースに菓子作りをしてみよう」とスイッチが入り、自分で試作してみることにしました。村を代表する土産菓子になりえるのか?それは全くわかりませんでしたが、まずは作ってみて、皆さんに試食していただいたり、評判がいいものをテスト販売してみたりという
地道な開発を続けました。そんな様子を見ていた役場の方が地域おこし協力隊の取り組みとしても菓子作りは意義があるのではないか?ということになりまして、今年度から本格的なスタートを切る運びとなりました。現在は地域おこし協力隊としての仕事、商品化に向けた開発と試験販売を主な活動として取り組んでいます。
他県や県内各地で開催されるマルシェなどのイベントが主な販売機会となっています。飯舘村地元の方々の反応だけじゃなく、土産菓子としては他のエリアの方々の反応がとても気になりますからね。当面の目標は商品開発、その先には飯舘村に工房とお店を構えるという目標を立てました。現在は村内にある村カフェ753さんに商品を置かせてもらっており、その足がかりとなるよう、試行錯誤を繰り返し、お客様の反応や感想を得ているところです。
村に根付く、菓子工房をつくりたい
これぞ!という商品が完成した暁には、福島駅にお土産品として並んでいるイメージを想像しています。
商品リリースの前に「コチット」というブランド名が先に決まってしまってるんですが、これは日本の古い言葉「東風(こち)」に由来し、自身の思いを込めて決めました。東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて春を忘るな
拾遺和歌集で読まれてる詩がありますよね。
つと(苞)は、わらなどを束ねて両端を縛って物をくるむ(藁苞(わらづと))から派生して,後に贈物や土産品の意味(家苞(いえづと))として使われた言葉なんだそうです。
そして、福島の語源は「風が吹く島」からきているそうで、これらを組み合わせ”こちっと〜東の風が吹く島のお土産” という意味が込められています。
なので最初からお土産菓子を開発すると決めて菓子作りに取り組んでいます。近い将来、飯舘村に工房を構えて、生菓子製造も視野に入れ、より本格的に菓子作りを始動したいですし、村に工房/お店を構えるということは、地域と更に深く関われますので、村の産品を使った商品開発の幅も広がると思っています。
洋菓子屋という村に新しい産業の創出、働き口の創出、若い方々が働ける場所が飯舘村に増えることは復興や再生に置いてとても重要な要素ですよね。
なるべく早い段階で菓子作りは若い方々に任せて、自分は事業として成立させるべく、営業に奔走したいと考えています。飯舘村の方々には本当に良くしてもらっていますし、多くの方がこの活動を支援してくれています。そうした期待に応えるべく、これからも頑張っていきます!