合同会社ニコニコ菅野農園 菅野クニさん

ナツハゼに魅せられたきっかけ

かつて飯舘村は国際交流が盛んな村で、「若妻の翼」という村の取組みがあり、女性の活躍の場を与える制度を設けて、女性を海外研修に派遣したり、海外から留学生を受け入れたりしていました。その一環で、昭和57年から3年間、中国からやってきた三人の留学生を村で迎えることになり、夫は彼らの担任をしました。その際に、村民の有志がホストファミリーとなって留学生を迎えることになったのです。
平成2年ごろでしたが、中国に帰国していた留学生がホームステイしていた友人宅に来た時に、夫がナツハゼのジャムをごちそうになってきて帰宅してから私に「今日はナツハゼのジャムをご馳走になってきたよ!美味しかったし、ナツハゼジャムはカビないんだってね?」と話してくれました。
その時の私は、なぜカビないのかな〜、カビないジャムなんて食べたくないと思いました。

時は経ち、平成21年に、福島医大の教授の研究が地元新聞に掲載されて読む機会がありました。その内容は「ナツハゼのポリフェノールがインフルエンザウイルスに抵抗性がある」という内容でした。読み終えた瞬間、かつて夫が食べてきたと言ったナツハゼジャムのエピソードを思い出し、「カビが生えにくい」ということに合点したのです。「カビない(カビにくい)理由はこの抗酸化作用が理由だったんだな」と。そのときに、飯舘村の山に自生するナツハゼは、もしかしたら村を代表する特産品になり得るかもしれない!と様々な思いを巡らせはじめ、ナツハゼの研究をしたいと思うようになりました。

「ナツハゼのこと」と「帰村」は諦めない

私がナツハゼに夢中になリはじめた頃は、夫がそろそろ定年退職を迎える時期でしたので、定年後の生活プランについて話し合う機会が多く、彼は以前から取組んでいるジャガイモの品種開発における種芋栽培とナツハゼの栽培・商品開発を手がける農園を開いて経営してみようと計画を立てました。

早速、私は夫と山でナツハゼのひこばえを採取し、畑に150本くらい植えました。
それが平成22年の秋です。そして翌年3月、震災が起きてしまいました。

飯舘村は計画的避難区域に指定され、私たち家族も福島市に身を寄せました。
避難先での生活は色々と大変なことも多く、客観的に見ればもう農園経営は諦めなければならない状況だったのでしょうけれども、私は「ナツハゼの栽培」と「飯舘村へ帰村すること」は、諦めていませんでした。

原発事故直後に息子から「お父さんの研究を飯舘村でやるのはあきらめて欲しい」と言われましたが、夫はじゃがいもの開発は続けていきたいと言っていました。
放射能汚染被害に遭ってしまった飯舘村での農業は不可能。
「だったら栽培できるところで続けよう」これが私たちの答えでした。避難生活を続けながら農業を続ける決心をし、避難先で畑を求め、栽培を再開させました。

避難生活が始まってから福島市の山にもナツハゼが自生しているのではないか?と思いたち、土湯温泉に行く手前の麓あたりを歩いてみたら、偶然ナツハゼを栽培している畑を発見しました。この畑が秋になったらどのくらい実をつけるのか楽しみになり再訪したら、またまた偶然、以前みたナツハゼの場所とは別の場所に、たわわに実ったナツハゼの畑が目の前に現れました。

畑の持ち主を探して連絡をとり、ようやくお会いできた持ち主は、福島市の農業委員会の会長をされている方で、夫と「いいたて雪っ娘かぼちゃ」で繋がりがあるというご縁がありました。
ご本人にお話をうかがうと、ナツハゼをアイスクリームの原料として四季の里へ出荷していたこと、それが震災で需要がなくなってしまい、震災前の秋に収穫したナツハゼが大量に冷凍庫にストックしてあることを教えてくださいました。
私はお願いしてそのストックのナツハゼを譲っていただき、早速ジャムに加工して知人たちへ送りました。
とても好評で、益々ナツハゼの可能性に期待と飯舘村の未来を見出したのです。

動き出した、ナツハゼプロジェクト

その後、平成24年度内閣府被災地復興支援型地域社会雇用創造事業「新たな一歩プロジェクト企業プランコンペ」という復興支援事業を知り、思い切って今まで構想してきた私の思い描く農園事業の企画で応募しました。

その結果、採択され、着々とことが運び、ついに平成25年2月「合同会社ニコニコ菅野農園」として法人化し、計画のスタートを切ることができました。
震災当時、諦めかけていたナツハゼの商品開発計画が大きく動きだしたのはこの後です。

除染や復旧作業が進み、飯舘村が一部地域を除き避難指示が解除になり、村に帰って飯舘の地で農業と商品開発をすべく奔走しました。避難先で農業をしながら飯舘村へ足げに通い、独自に山菜やキノコ、試験栽培した農作物の線量を計測し続け、 平成25年にベラルーシ、平成26年にはノルウェーに行き、私なりに放射線に対する考え方や安全に対する概念、基準の捉え方を学びました。そのおかげで村の現状は安全であることを確信できたので、平成29年3月31日待ちに待った避難解除とともに帰村をしました。

飯舘村が好き

ジャムにつかっていた容器は届出で販売できていたのですが、令和3年6月の食品衛生法改正で営業許可が必要となり、自宅工房の改修が必要となりましたので、現在は福島市の密封包装食品製造業許可を取得している加工所をお借りして、商品の開発と製造を行い、販売しています。

それ故、製造地が「福島市」となってしまうのですが、これに関してもいずれ「飯舘村」と表記できるよう考えています。

また、今までにない、全く新しいナツハゼを使った商品の開発も進めています。
飯舘村が好き、飯舘村を愛する人が好き。
飯舘村に来てくれる人を増やしたい!
飯舘村を応援してくれた、これまでの全ての出会いに感謝し、健康に良いナツハゼの特性を生かした商品で“ナツハゼを村の特産物にしたい”という夢に向かってこれからも進んでいこうと考えています。

<お問い合わせ>
合同会社ニコニコ菅野農園ホームページ:http://www.nico2farm.jp/
Instagram:@nico2farm