までい工房美彩恋人 渡邊とみ子さん

種をつなぐことをあきらめない

震災当時、飯舘村は放射能に汚染されてしまい、私達家族は3月19日に長野県白馬村に自主避難し、知人がやっている旅館に受け入れていただきました。
誰もがそうだったように、突然の大惨事で、避難する前に済ませておきたいことが膨大にありました。夫と私でできる限りの整理をして、白馬に向かい、旅館のお手伝いや自分達の賄い作りをして避難生活を過ごしました。
ただ、何より当時の私は、種馬鈴しょ防疫補助員という役割を務めており、同じ飯舘村の菅野元一先生が研究する、イータテベイクといいたて雪っ娘かぼちゃの開発・栽培・普及に携わらせていただいていたので、時期的に作付けの準備が始まる種芋生産時期がせまっていて、この仕事がこれからどうなってしまうのか、解決策を見出せない状況で、将来への不安が募っていました。
とても大変な状況下でしたが、「種をつなぐ事を決して諦めてはならない」と強く思い、奔走していたあの頃が忘れられません。

遠ざかる営農再開、それでも、種をまく

その後、同年4月に、一旦飯舘村へ戻り、班の総会を開き、村での役割と身の回りの整理を済ませ、自分なりにけじめをつけて、生活のための収入を得るべく、茨城県阿見町のかぶ農家さんに夫と出稼ぎに行きました。

飯舘村で営農再開など誰も考えられない状況下でしたが、イータテベイクの種芋、いいたて雪っ娘かぼちゃの種を絶やさないために必死で、茨城県から福島県まで通い続け、福島県や飯舘村の担当者の方々と交渉・調整し、栽培を再開するために模索し、奔走していました。その間に飯舘村が計画的避難区域に指定され全村避難を余儀なくされました。
とてもショックでした。これで飯舘村での営農再開という希望が遥か遠くへ去ってしまったような心境でした。
それでも私は種をつなぐ使命感は捨てきれませんでした。夫婦でもう一度奮起し、茨城県への出稼ぎを約1ヶ月ちょっとで引き上げ、福島市に住宅と有休農地を借りることにしました。ようやく見つかった物件は、管理状態が酷くボロボロです。散乱したゴミを片付けたり家屋を修繕したり、とても労力と時間を要しました。水が出ないので井戸も掘りました。
取得した農地は耕作放棄された元水田。粘土質で乾燥すると石のように固くなってしまうため、土壌改良にとても苦労しました。夫婦でこれらを手作業で開墾し、ようやくいいたて雪っ娘かぼちゃとイータテベイクの種をまくことができました。

何故こんな苦労をしてまでこの時期にやらなければならなかったのか?

それは、菅野元一先生のイータテベイクが正式にジャガイモの種芋として認められるために、3期にわたる検査をパスしなければならず、震災があった2011年に第1期の検査を控えていたからです。また、いいたて雪っ娘かぼちゃの商標登録と品種登録も控えていました。

長年取組んできた仕事の成果を試される検査が、よりによって震災に見舞われ大混乱の最中に実施されるという憤りと悲しさ、それ故に必死で奮闘する私の姿を見た夫が、初めて取組みの難しさと大変さを理解した、といってくれました。

その後、奮闘した甲斐があって、イータテベイクは原種として見事合格。最終的に種芋として認められました。

当時、イータテベイクジャガイモ研究会の会長と種馬鈴しょ防疫補助員という役割を担っており、平成22年から栽培を担ってきた生育環境も審査対象だったことから、品種として市場に出荷できるお墨付きを受けたこの出来事は、まさに感無量でした。
避難生活の最中で、あまりにも辛いことがありすぎて何度も何度もやめようと思いましたが、こうして種を繋ぐ事ができて、本当にほっとしました。

全国に広がる、いいたて雪っ娘かぼちゃ

避難生活の中、私は何十年と飯舘村での営農再開は無理だろうと思っていましたが、飯舘村は除染と復旧作業が進み、2017年3月31日避難解除エリアとなり、将来に明るい光が見えてきました。
それでも飯舘村での営農再開に消極的な意見、反対意見が多数ありました。
しかし、独自に試験的栽培を始め、あらゆる数値を計測、検査したところ、かぼちゃは出荷基準を満たし、問題がないことがわかりました。
この結果を受けて飯舘村の畑を再開することにしました。
農業と生活、全ての活動拠点を飯舘村に移し、軸足を置きたいところなのですが、未だに拠点は福島市にあります。なぜなら私は「種をつながなくてはならない」からです。
現在、除染が進みきれいになった田畑でも、飯舘村の農地環境は長い間人間の生活が途絶えたことで生態系が変わってしまい、獣害というリスクを抱えています。
特にカボチャは獣害を受けやすいため、種が全滅してしまうような最悪の事態を回避しなければなりません。福島市の畑と飯舘村の畑に分散して種つぎをすることでリスクヘッジしながら、飯舘村での営農再開・自立を目指しています。

2022年で6作目、収量は今までで最大でしたが、収益性はまだまだです。
獣害対策は大変な労力や費用を要しますし、かといってそのコストをかぼちゃに上乗せして市場へ出しても売れません。未だに苦労の連続です。

それでも飯舘村で農業をやる理由は、地域への思い入れが深いから。
飯舘村にやってきた当時は、他からお嫁に来た立場でなかなか馴染めなかったのですが、市町村合併問題に住民代表として関わる機会をいただいてから、この村の地域づくりのために自分たちで考え、行動する村民企画会議などに参加させていただくことを通して、ようやく一個人として認められたような気持ちになれました。村への愛着も湧いてきて、決して飯舘村を捨てきれません。

今、いいたて雪っ娘かぼちゃの作付け・販売は各地に広がり、大学生との交流やファンクラブの方々をはじめとした全国の皆様からご支援をいただいています。
これからも飯舘村にしかないものを、多くの方々に知っていただき、飯舘村へ来ていただけるよう、取組んでいきたいと思います。

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