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トップページ > 村長の部屋 > 平成31年度 年度始め訓辞(平成31年4月1日)

平成31年度 年度始め訓辞(平成31年4月1日)

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年4月1日

 皆さん、おはようございます。 

 今日から平成31年度、飯舘村村政のスタートです。途中で元号が変わる節目の年でもあります。

 飯舘村は、原発事故による全村民避難という災害以来、毎年度、課題山積みの年度をもちまえの前向きさをもって、乗り切ってきました。震災から9年目に入っても、この8年以上に重要かつ緊急の問題・課題があるはずです。さらに意思疎通を図り、共通認識をもって、二歩三歩と前に進む年度にしなければなりません。

 新しく就任された遠藤教育長を始め、本採用の3名の方、新たに任期付き職員になられた11名の方、そして以前から応援に入って頑張っていただいている職員の方々、力を貸して下さい。力を発揮してください。

 飯舘村の「新しい村づくり」のため、それぞれの立場でご努力を心よりお願い致します。

 それから村の職員の方、意に沿わなかった異動だったかもしれませんが、あなたなら、その部署の仕事、必ずや やりとげてくれるはずとの思いでの異動です。また、異動のなかった職員の方は、自民党の二階幹事長の話ではありませんが、「余人をもってかえがたし」でありますので、年度変わりに当たり、心を新たにして職務に当たっていただくよう切にお願いします。

 さて、避難当時、私はこれからの課題として5つにしぼりました。1つに除染をしっかりと、2つに賠償を、3つに避難された村民のサポート、そして4つ目に、復興計画づくり、5つ目として村での学校再開と。

 この5つの課題を村民の皆さんにも職員の皆さんにも何回となく言ってきました。この5点だけで、済むことではないのですが、とり合えず課題を共有しながら、前に進むことが大切と思ったからです。それらの5つの課題、まだ課題は残っていますが、ある程度区切りが付けられたと考えていいと思っています。したがって、改めて9年目に入るに当たり、何を目標にするのか、共通課題を何にするかです。

 1つは、村内の生活環境の整備があります。暮らしの面から農業基盤整備まで実に広いです。

 2つは、長泥の復興拠点整備や道の駅までい館、きこり、さらに特別養護老人ホーム等の課題解決の問題があります。

 3つ目としては、教育環境の整備です。

 4つ目としては、村民の自主自立の心をどう構築し、納税意識を高め、かつ行政区活動を、どう動かしてもらうかがあると思っています。

 そして、5つ目が初の第6次総合振興計画づくりへの進め方や内容の問題があるだろうと考えています。 

 まず、1つ目の件については、これまでは「どこに住もうとも、飯舘村民です」という立場で避難中の6年、解除後の2年間を対応してきました。これからは、村内づくりにシフトを変えていく時期になります。村民の中には、「まだオレ達も村民だよ」との声や「たかが1,000人程のためか」との思いもあるでしょうが、すべての村民にとって「大切な、大切なふるさとづくり」であるという自覚と自負をもって、村内の環境整備を進めていかねばなりません。

 2つ目の課題ですが、村を再生していく上で、長泥だけ見捨てる訳にはいきません。そして、村のいろんな施設の経営改善に取り組んでいかなければなりません。次世代に出来るだけツケを先送りしないという心掛けが大切です。

 3つ目の教育環境です。「これ程、整ったのに何を…」という思いでしょうが、まず「義務教育学校に」という大命題があります。そして、それ以上に教育界の特殊性にこだわることなく、行政と教育は一体化であるという新しい認識をつくっていかねばなりません。教育は村の柱の中の柱です。教育関係者だけの問題解決ということにならないということです。

 4つ目の課題です。今回の災害、私たちの責任でないという気持ち分からない訳ではありませんが、かといって他におんぶに抱っこでよい再生ができる訳では決してありません。また、自分の人生を他人に委ねてよい人生が約束される訳でもありません。すべてのことに対し、権利を主張する限り、義務が伴います。あるいは、いくらかなりとも義務を果たせば、大きな権利も堂々と言えるし、付いてくることもあるということです。

 5つ目の中期総合振興計画です。5年間という短期間の計画ですから、始まったら、あっという間に終わってしまうという可能性があります。そして「振興計画」ということで何かをつくる、建てると考えがちですが、多分、農地の改善や道路の改修などの他は、ソフト事業が中心にならざるを得ないのではと思っています。1月4日に話をしたように、全体として「心の豊かさを味わえるように」「自然や人間の素晴らしさを感じられるように」そして「チャレンジの大切さ、おもしろさを心に刻めるような」そのような環境の村づくりが中心になるような気が私はしています。

 人と人とが、つながりをもって「今日は楽しかったね」と笑い合って生きていく価値観を、いかに作り出していくかでしょう。この村は「おもしろい村」「楽しい村」「気にかかる村」「訪ねたい村」の雰囲気をつくり、離れざるを得なかった村民に「ふるさとは良いところ」と思ってもらえる5年計画にしていくことが大切なはずです。いずれにしろ、自治体とて、1つの会社です。企業です。経営感覚、コスト意識を常に、頭の片すみから離さず職務に励んでいってもらうことを望みます。

 次の話に移ります。

 今回の入院中に、ある方から本の見舞いをいただきました。本の題名は「行動経済学、見るだけノート」というものです。入院中にこの本を読んで、私に何を言わんとしているのだろうと大変興味をもってページを開いてみました。あちこち、見ている内に私がよく言っている「これからの行政は、心理学を勉強しないと損をすることにもなるよ」に通ずる内容だったのであっという間に、目を通し終えてしまいました。

 もともと、伝統的な経済学というのはあった訳です。そこにあえて、「行動経済学」とは何ぞや、どこが違うのかです。

 これまでの経済学は、数値の動きから研究する学者がある意味で、仮設を立てたり、自らの研究に都合の良い前提条件を置いて、長期展望に立って、方向性を示すというもののはずです。

 そこに私たち人間の心の動きを、重視している訳では決してありません。それに代わって「行動経済学」なるものは、私たちの「心」を基礎にして、様々なことを学ぶ学問であるとのことです。つまり、人間の嬉しさや不安などに影響される私たちの「ありのまま」を考えながら方向性を出していくということです。

 研究の対象は、「数値」ではなく、あくまでも「生身の人間」が対象ということです。この「行動経済学」は20世紀後半から大いに研究され出した学問で、心理学を使うことによって私たちの決定するプロセスが「より上手くいく」あるいは「説明がうまくつく」というようなことになります。その本の中に、たくさんの理論や事例がありましたので、分かりやすくするため、3つ4つ例を挙げてみます。

 1つの例ですが、あるデパードが「全商品8%の値下げセール」という看板を掲げてバーゲンセールを実施しました。もう一方のデパードは「全品消費税還元セール」の看板をかかげセールをしたと仮定します。

 さて、どちらのデパードにお客さんが集まるかです。8%の値下げの方は「なんだ、たった8%ばっかりか」となり、一方の方は「消費税がただになるなら、今の内、少しでも買ってた方が得」となるのではないかという話です。そう簡単になるかどうか私は分かりませんが、ある意味で十分、うなずける話ではないでしょうか。同じ8%の値下げでも言い方によって、客の動きが変わってくるということです。

 2つ目の例は、今から何年前でしたか、渋谷のスクランブル交差点で「DJポリス」つまり、車の屋根の上に乗った警察官がおもしろ、おかしく、軽快で楽しい話をして、サッカーの勝利で興奮した群衆をうまく誘導したという例がありました。私もテレビを見ていて、「警察も、中々やるものだな」と思ったところでした。これも群衆の心理を和らげることによって誘導したという「行動経済学」を使った例であると書いてありました。

 この「行動経済学」、世界に目を向けると「世界的な成功例」と称されたアムステルダムのスキポール空港の男子トイレがあると記されてありました。つまり、便器の内側に小さなハエの絵を描いてみたら、絵のない時に比べ、トイレの汚れが大幅に減少したということです。実におもしろい話ですね。つまり、人間は的があればそれに、ねらいを定めたいという心理をうまく利用した正に「行動経済学」であった訳です。人の話では、日本にもマネた便器があるそうです。

 トイレを使う人に何ら、強制はしていない訳です。人は、強制されることを嫌う傾向があるので、「これをやれ」と言われるとどうしても反発したくなるし、また満足感や納得感が中々、持ちづらいということになります。

 その本には、スウェーデンの例ものっていました。「健康維持のため、エスカレーターを使わないで階段を昇ったら」と言われれば「言われなくとも、分かっている!おせっかいな」になるはずです。

 一方、階段にピアノの鍵盤の絵が描かれており、そこを踏むと音が出るようにしたら人は楽しく、階段の方を昇るようになったそうです。

 このように人間の心理を、うまく活用することによってよりよい社会や環境または経済状況をつくっていくという理論が「行動経済学ということです。この学問でノーベル経済学賞をもらった方がすでに3人もおられるそうです。

 これからの行政は、この「行動経済学」を大いに活用していくべきであり、政治家を目指すなら、「行動経済学」を勉強しなければとも書いてありました。私たち公務員も、ただただ前例に従って、法令に縛られてのみ働いているだけでなく、自分たちの仕事が少しでも村民に分かってもらったり、喜ばれたり、応援してもらったりして仕事がうまく進んでいけばいいはずです。また、村外の方にも、飯舘村民の良さや、私たちの村づくりへの努力が理解してもらえて応援がもらえれば、職員にとってもプラスになるはずではないかと、村長就任以来、ずっと思ってきたことであり言ってきたところです。

 職員の皆さんは、私に言われるまでもなく、この「行動経済学」的な動きをあらゆるところで多用して、いろんな賞をいただくなど素晴らしい成果を挙げてもらってきています。近頃、村の学校に戻ってきた児童、生徒にまで「行動経済学」を使われているのではと思えてきました。

村外の方から「飯舘村は一番、新聞に載る回数が多いですよね」など言われるのも、この「行動経済学」を知らず知らずの内に使っているからこそだろうと思っています。人口激減の村にとって、ふるさと納税であれ、ふるさと住民票であれ、村に思いをかけていただくことはとても大切なことです。そこにも「行動経済学」が使えそうです。

 一方、長い間、多くの支援に慣れ、かつ税金の支払いから遠ざかっている村民に、どう自主自立の心を取り入れてもらうかと考えた時、少しでも強制的にならないようこの「行動経済学」をうまく使えないものかとも考えているところです。6次計画の中にも使えそうです。あらゆるところに、この「行動経済学」、つまり人間の心理を考えながら抵抗感なく、変化を受け入れ、より良い充実した人生を送ってもらうことは村の仕事でありますから、これまで以上に今、話をした考え方をとり入れていく必要があると思ったので、例を上げ長々と話をさせてもらいました。

 3つ目の話に移ります。2つお話をさせてください。

 1つの話は、3月の定例議会の件です。

 「ブロンズ像」の件で副村長以下、各課長、係長の皆さんに大変な心配をかけてしまいました。本当に申し訳ありませんでした。このような村の大変な時、貴重な村のお金でブロンズ像をつくろうなどとは、私とて考えるべきではないということ十二分、解っています。

 お金には色が付いていないので、「このお金で使うんですよ」とは中々言えないのが残念です。このお金の出所は、全国から約2万人近くの方のふるさと納税でいただいたお金を使ってのブロンズ像設置なのです。

 3年間に約10億のお金をいただきました。もちろん使えるのは、半分ですが「ブロンズ像に使ってもいいですから、いい村づくりをして下さい」との主旨のお金の「ブロンズ像」です。

 前からよく「村長は、先を見すぎ」という話、何回か言われてたりしましたが、私としてはそんなに先を見ているつもりは全くありません。ただ、いくら経済活動が活発になったとしても「いい村ですね」「あったかい村ですね」「この村何となく、落ち着きますよね」「また来てみたくなる村ですよね」なる村にはならないのではないかとの思いがあるというだけです。

 そして今、全国には1,700程の自治体があってその中で、村と名のつく自治体は180程です。村と名のつく自治体の生き残る道は、その当たりにあるのではないかとも考えているからです。職員の皆さんには、ぜひ、物の見方として近視眼的な見方だけにならないよう、常日頃の習慣づけをして欲しいものと願っているところです。

 もう1つの話は、3月11日の日を「あたり前をありがたいと思う日」に制定した件です。避難直後、村民の何人かから、「避難してみて今までの暮らしがいかによかったか、初めて分かったよ」との話を聞いてました。それで、直感的にこれはいずれ使えるなとずっと思ってきました。しかし、避難中は無理ですし、やるべきでもありません。やっと解除になって、2年目に入る3月11日を制定してもいいだろうということで皆さんに動いてもらっての制定でした。そのことが偶然、人気グールプ「嵐」によって年末の紅白歌合戦のトリで全国放送されました。また、東京の社長さんの目にとまり、「あたりまえ」のメッセージ入りのシャツの寄贈につながっていった訳です。制定してよかったなという思いは、今話をした2つばかりではありません。

 それは、愛知県のある中学校の先生が「感謝の心」を教える道徳の授業の教材にこの「あたり前がありがたいと思うエピソード」を生徒に考えさせて応募してくれたのでした。もちろん、わが村の中学生も「感謝の心をもとう」ということで学校中の清掃に励んでくれました。

 「心の教育をやって欲しい」と、これまで何度言ってきたか分かりません。経済活動は絶対必要なことではありますが、近頃、親が自分の子に手をかけてしまうという事件の何と多いことか。動物にも劣るこれらの行為です。自分さえ良ければ、他人はどうなってもいいとか、他人から年間400億近く、まきあげている事案もあります。1日1億円です。なぜ、こうような世の中になってしまったのかと心を痛めている方は、決して私だけではないはずです。

 そういう世の中で、中学生たちが「心の教育」の教材として「あたり前がありがたい」を使ってくれたということ、何程私の心が癒されたか分かりません。

 教育に限らず、私たちは次世代のため、よりより社会をつくっていくという役目があります。どんな、大変な仕事であっても挑戦していかねばなりません。その時に、仕事の神様が「ひいき」にしたくなるような仕事をしていく必要があります。そして、仕事の神様が「ひいき」にしてやりたくなるような職員になっていった方が毎日の仕事、楽しくもあり、やりがいも出てくるというものでしょう。

 あと2時間程で、新しい元号が決まってきます。皆さんにとって、新元号の年、「自分なりに充実した1年だったな」とか「いろいろ自分なりにやり遂げた1年だった」と思えるようにしていただければと願って年頭の訓辞とします。ありがとうございました。

 

平成31年4月1日 飯舘村長 菅野 典雄