ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
  • 分類でさがす
  • 組織で探す
  • サイトマップ
村長の部屋メニュー
トップページ > 村長の部屋 > 大事なものへの 「気づき」

大事なものへの 「気づき」

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年5月5日

 全村避難も6年目に入ってしまいました。

 何程か大変な毎日をお過ごしでしょうが、この避難生活の中でこれまでの平凡な毎日の生活がいかに大切で、素晴らしいものであったかを改めて知ったという声をよく聞きます。人はいつだって、ないものをねだってしまい、あるもののありがたみを忘れてしまいがちなんですね。目が見えることが、どれ程素晴らしいことかは、見えなくなって初めて知ることでしょう。目の見えない方同士のカップルの場合、相手の顔に手をあてて大好きな人の顔を知るんだそうです。

 同じように、私たちはしゃべるのが当たり前と思っています。でも、しゃべられない小学6年生の女の子は、神様がたった1日だけでいいから魔法をかけてしゃべられるようにしてください。そしたら、1日中、家族といっぱいおしゃべりしたい、そして魔法がとける前に家族みんなに「おやすみ」って言う。それで十分。何といういじらしさでしょうか。私たちの当たり前がこの子にとっては、たった1日だけでいいから魔法をかけて欲しいという切なる願いごとなんですね。

 今、熊本・大分の大震災を見るにつけ、ご飯を食べられることがどれほどありがたいかを改めて思いしらされます。つまり、普通に平凡な1日を過ごせることがどれ程幸せなことかということを、私たちのこの避難生活や、九州の震災のニュースの中から気づかされた方が多かったのではないでしょうか。つまり、「幸せ」というものは「求めるもの」や「なるもの」というよりは「気づくもの」なのかもしれないなと思ったところです。「大事なもの」「大事な人」は失って初めて気づくのではなく、失わなくともその大事さに気づいていきたいものですね。


平成28年4月20日
飯舘村長菅野典雄