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村長の部屋メニュー

平成30年 年頭訓示(平成30年1月4日)

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年1月25日

あけましておめでとうございます。

 あっという間の6日間でしたが、いくらかなりともリフレッシュされたでしょうか。特にご家族と離れられ、村のお手伝いをいただいている方にとっては家庭の温かさを味わられた年末年始ではなかったのかなと思います。あらためて、ご家族と離れての勤務に心より感謝致し、お礼申し上げます。

 平成の年号として数えられる最後の年となるであろう「平成30年」がスタートしました。村にとっても、帰還困難区域を除いて避難指示解除後2年目に当たる重要な年になりますので、昨年以上によろしくお願いいたします。

 村からのメッセージを入れた年賀状ですが、おそらくほとんどの県に配達されたのではないかと思います。反響はどうなのか、期待半分、心配半分というところですかね。

 さて、この7年間 飯舘村は一貫して被害者と加害者の関係を強調するよりは、対等の立場で復興に向けて冷静に話し合ったり、提案し合っていきましょう、というスタンスをとってきました。村民から「村長は国の手先か」と言われたこと、何度かありましたが、復興への村のスタンスとしては決して間違ってなかったと確信しています。そのような考え方によって、イグネ伐採や昇口舗装など他の自治体の住民より「出来たこと」や「良かったな」ということが多かったはずです。

 このスタンスはこれからも変えるつもりもなく、復興計画にある「ネットワーク型の村づくり」を進めていかねばなりません。

 「ネットワーク」という言葉を使った理由は、6,000人の村がこの避難によって帰村する村民が1,000人になるのか2,000人になるのか分かりません。いく人になろうとも村に戻った人だけで「これからの村づくり」をしていくことというのではなく、村外に住まれた村民はもちろんの事、村外の方とのつながりを深め、それらの力も借りながら新しい形の「地域づくり」や「村づくり」をしていくことが大切というところから生まれた言葉です。

 人口減をなげいていても、仕方がないのであって交流人口・移住人口、あるいは活動人口を増やしていく中で多くの方の知恵や情熱、あるいは情報網をお借りしていこうということです。そこには、「人と人との縁」を大切にしていくという考え方が絶対的に必要であります。そのことによって、「村のファン」を多くしていくことができます。「ファン人口」の多い地域や、自治体が生き残っていけるということ、十分言えるはずです。

 もちろん、そのような助けを借りたとしても自分の地域や村は自分で作っていくという気構えをもつことが何より大事ということは、言うまでもありません。飯舘村は「人口減少社会のフロントランナーになるぞ」という心意気が必要でありましょう。そのような考え方に立って「ふるさと納税」や「ようこそ補助金」あるいは「年賀状でのメッセージ」やこの3月には「ふるさと住民票」なるものをスタートさせようとしているということです。「村へいらっしゃいという補助メニュー」づくりも30年度の大切な課題になってきます。

 「ないものねだりから、あるもの探し、あるもの生かし」という言葉を何度も口にしてきましたが、「村のファン」を増やすのには足元の資源に磨きをかけ、宝石にしていかねばなりません。

 今、各地で「日本一暗い町」を売りにしているところがあります。「暗い」はマイナスイメージそのものですが、一方で「満天の星」がくっきりと見えるということで多くの観光客を呼び込んでいる町があります。星空を眺めるわけですからすべて「宿泊付き」ということになります。

 「ないものは、ない」というキャッチコピーを売りにしている海士町という離島の例もあります。

 「ピンからキリまで」という言葉がありますが、人口減少の山間部にも星空のように「極上のピン」なるものを見つけることが大事です。わが村にも、愛にこだわって作った「あいの沢」があります。「までい」という方言も災害以来、わが村の「極、極上のピン」になっているのではないでしょうか。この災害によって、「飯舘村」という自治体名すら「ピン」のひとつになっているといっても良いでしょう。そのような考え方から「いいたて村の道の駅 までい館」とか「までいの里のこども園」というようにあえて「の」を入れて少しでも「村のピン」に近づけていこう、生かしていこうということなのです。ふれ愛館の「あい」を「ラブ」にしたのもその流れでもあります。

 いずれにしても、そのように柔軟な行政風土が絶対必要になってくると思われますので、これからは日常の事務処理をすることに満足することなく多様な考え方が出来るようにしていかねばなりません。「民活」も大事ですが、より「官活」も大事ということです。企画力、実行力、販売力の三拍子が必要になってきますし、コミュニケーション力やデザイン力、そして行政自身の経営力なども問われる時代になっているということもいえるでしょう。これら、職員の件については、又後ほど触れさせていただきます。

 2つ目の話に移ります。

 世の中には、白か黒か、右か左かあるいは保守か革新かと割り切れないことが必ずあるはずです。しかし、そのような中でも人間は否応なしに選択を迫られることになります。その時に、片方に行かざるを得なくなったとしても、もう一方のことは考えてみたり、大事にしたりもしなければならないということがあるはずです。

 もっと分かりやすい例を挙げましょう。かなり以前の話ですが子どもが誘拐されそうな事件が起きた時、「知らない人に道を聞かれたら、走って逃げるように」という教えが果たして正しい教育なんだろうかと、教育界で大きな問題になったことがありました。人間には、身を守るための警戒する注意力が絶対必要ではありますが、一方で「人を信じる」という心も必要であって、そのことを教えることも教育の大切なことではないのかと。つまり、「信じる」と「疑う」の両方をバランス良く持っていることが求められるということでしょう。一般的な話しですが、こんなことも言えるかもしれません。私たちの心の中に、「命がある」ということに感謝するという謙虚さが薄れてきてはいないだろうか、と。さらに動物のように、雨に濡れずして布団に寝られるという幸福感を感ずる力がなくなってきてはいないだろうかとも。

 物事の結果を最低でも、2つ以上に相反することを複雑な視点で見ることができるという能力や勇気が衰えてきているのではないかということです。そのような訓練というか教育なども教育界では全くとは言いませんが、教えが少ない状態と言ってもよいでしょう。解決方法はよく分かりませんが、子どもたちに社会体験とか異種な人との出会いなども有効と思っています。そのようなこともあって、私は口うるさいなと思われる位「バランス感覚」とか「物事は柔軟に考えて」など言っている理由です。

 今、私たちは避難という、かつてない災害に遭っていますが他の災害を見たり、考えてみたりすることによって改めて自分の身の上を考える機会になるということもある訳です。そんな考えもあって、私は津波で80人近くの子どもが流された大川小学校には数度足を運んでいます。津波のことが載った新聞記事などにもよく目を通すようにしています。

 ここ2、3年、やっと私は村民にこの津波の事案を話せるようになったなと思って話の最後の方でつけ加える時があります。例えば、家族全員が流された4才の女の子が「ママ、生きているといいね。お元気ですか」と書いた紙の上で疲れ切ってうつ伏せに寝ている写真は、当時多くの方々の涙を誘いました。2年前の3月11日の新聞には、これとは全く逆で、子ども3人全員を津波で流された両親が、壊れきった大川小学校前で3人の名前を呼ぶしかないという写真記事が大きく出ていました。4年目の政府の追悼式に遺族代表として挨拶した女子大生の言葉には、さすがの私も涙してしまいました。こんな内容です。「中学3年生の時、津波にのまれ、気づくと足元から低い声で私の名前を呼ぶ母の声が聞こえました。釘や木が刺さり、足は折れ、がれきの下敷きになっている母を助けようとしたが自分ひとりではどうにもならない重さと大きさの瓦礫。母を助けたいけれど、ここに居たら私も流されて死んでしまうと思い、「行かないで」という母に対し、「ありがとう。大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へ泳いで渡り一夜を明かしました」と、声を震わせながら朗読したと記されていました。彼女のこの判断、誰も責められないはずですし、正しかったと思います。しかし、彼女は一生涯母を見捨てたという、重い十字架を背負ってこれから先、生きていくことになるでしょう。

 そう思うと、私たちの災害は大変ではあるが、まだがんばれる余地があるのではないだろうかなどと、村民に話をすることがあります。

 物事を広く見たり、両面から考えたりということが大切ということでさらに、こんなことも言えるのではないでしょうか。

 日本は世界有数の経済大国に発展してきました。その背景には、働く人たちの心に「お天道様が見ているよ」という感覚があったからではないかと私は思っています。誰が見てなくとも、神様が見ているのだから、例えネジ一本を締めるにも絶対手抜きをはしないということで「メイド イン ジャパン」の製品がつくられてきた訳です。ところが近頃、あちこちの有名企業などが手抜きをしたり、検査を疎かにしたりして「メイド イン  ジャパン」のイメージを大きく落としているような状態です。

 ところが、一方で一人ひとりのたゆまぬ努力と仕事に対する情熱をもって高品質の製品をつくっていくというような「小さな町工()」のテレビ番組が高視聴率をとっているということもあります。日本の「便利度」というものは、先進地でも突出してます。365日、24時間自動販売機は動き、コンビニは店を開いてくれています。その便利さに慣れ、効率や利益のみを求めてきた結果、食品の偽装などが起きるということです。うまい汁を吸うのはほんのひと時のことです。発覚したとたん、何十年もかけて築いてきた信頼を一瞬にして崩れさっていくということになります。

 今回の原発事故は正にそのことのみ、追いかけてきた中で起きた事故といって良いでしょう。ですから、何でも「足し算することが正しい」という時代とは早く決別して少しずつ少しずつで良いから「引き算も良し」という世界に軸足を変えていくことが大切になってきているはずです。引き算を少しずつ進めながら本当の豊かさとは、どういうものなのかを、もう一度じっくりと考えてみる機会にしていこうではないか。いや、チャンスにしていこうというのが、この原発事故から私たちが学ぶことではなかったのかと私は強く思うようになりました。したがって、利益追求のみではなくいろんなスタイルで人の心を潤すようなことを、また喜びを与えるようなことを少しずつ充実していくことが大切ではないかとも原発事故以来、思うようになりました。

 「おもしろい村」「明るい村」「文化の村」をつくっていくことによって、若者を呼び込める村になりはしないだろうかとも思えてきたところです。そのような考えもあって、交流センターや道の駅、さらに間もなく開校する学校などにブロンズ像や木彫、あるいは絵画などを入れ、いくらかなりとも自然というような状況などもつくり、「潤い」や「文化の香り」さらに、「癒し」や「遊び」的なものを入れてきているということなのです。

 私の名刺には「住む人の心が、村の顔です」とずっと入れてきましたが、村を訪れた方に、そのような「村のこころ」を分かっていただくことが復興を進めていく上で、大きな財産になるような気がしてなりません。

 最後の話に入ります。

 全村民避難によって、各家庭はもちろんのこと、村民も大きく変化させられてしまいました。村民の避難が一段落するまで私は、無我夢中でしたが飯野支所に役場を移した後、ある程度落ち着き始めると、この変化はチャンスに出来るかもと思うようになっていました。1つでも2つでも、逆手にとって村民に「よかれ」ということが出来るのではないかと。

 こんなに大きな変化による「チャンス」というものは2度とある訳でなし、「チャンス」は貯金が出来る訳でもないのですから。そう考えるとその機会というものを取り逃がさないようにするためには何度も言っていることですが、柔軟な考え方で判断し、対処していくことが大切なんだと改めて思いを強くしていました。そう考えた時、「飯舘村でよかったな」と何ほど、思ったか分かりません。

 今から13年前、もし合併していたら何の判断も決断も出来ず、村民は新潟県や宮城県に避難させられ、村は崩壊同様になっていたことでしょう。よく村民から「村長は、我々村民より、自分がつくってきた村の方が大事なんだろう」と批判されたこともありましたが、ひとつの自治体の形があったからこそ、村民の立場になっていろんなことが交渉出来得たということです。そういう意味からして、自治体としての存在は「天下の宝刀」といっても良いでありましょう。その「天下の宝刀」をこれからもしっかり守っていかねばなりません。

 しかし、その「天下の宝刀」である自治体は、職員の皆さんの集合体であります。したがって、村がこの「チャンス」を生かし、災害を乗り切り、復興を為し得ていくためには、職員個人個人が自分自身を高めていこうということがない限り、難しいものになっていきます。したがって、村のため職員個人の成長が絶対必要なのですが、私はその為のみ言ってる訳ではありません。

 皆さんにとって、たった一度切りの大切な人生ですので自分のためにも家族のためにも自分を高めるということは、とても大切なことでありましょうから。皆さんにその一度切りの人生を満足感をもって、終えていって欲しいものと常に思っています。そうかんがえた時、それぞれ身の置き所をどうするかでも変わってくるものと思われます。

 例をひとつ紹介したいと思います。

 以前、福島大学におられた今井という教授の話です。彼は以前、東京都の職員、つまり公務員でした。公務員なので8時間を我慢して仕事をしよう。残りは自分の時間だから自分の好きなことをして大いに遊ぼうと。ところが、いろいろやっている間に、段々その「遊び」と「仕事」に境目が曖昧になってきてしまった。旅行に行っても「ここは空き店舗が多いな」とか「歩きやすい歩道につくられてるな」というように、ついつい行政のことに目がいってしまい「これは、ヤバい。自分の時間がなくなってしまう」と思うようになったそうです。

 しかし、よく考えてみれば自分がコントロールする時間なので、段々それ程苦痛でなくなっていく自分に気づいたそうです。そして、身銭を切ってでも仕事の8時間以外の時間をあちこち歩いたり、他の人との出会いをつくっていったりすることが大切だと思うようになったそうです。そのところが大事だ、と。

 その時に、ただひとつ「気をつけないといけないな」と思うことがあたそうです。「住民と行政の協働」、よく行政が使う言葉です。

 協働といいながら、私たち公務員は住民に仕事以外の時間で活動を期待していながら自分は「仕事の時間内」にいるということです。自分たちも仕事以外のところで住民と協働をしていくことが大切ではないかと。

 村の職員の中には、村の消防団に入ったり、民俗芸能の一員として活動したり、あるいは行政区の役員をしている方が居るなど、「協働」をしっかりやっている方がおられます。しかし、一般的にはその二面性のない職員の方が多いことでしょう。特に、村出身以外の職員に至ってはそのような活動が中々出来にくいということだろうと思います。しかし、自分の人生の巾を広げ、豊かにするためにも、そして村民から信頼を得るためにも大変であろうけれども、いち住民、いち村民の立場で、あるいは「なったつもり」でちょっとの時間を、村民と個人として接する機会に身をおいてもらえれば、大変ありがたいなとも思うところです。

 そんな活動の中での感動と経験は「一生涯なくならない財産」にもなるような気がしているものですから。そしていずれ、仕事の上で、何かあった時に助けてくれる村民になっているはずです。

大変長々と話をしてしまいました。想いの強い人間ゆえの話として、お許しください。

 これからの3カ月、29年度の締めと30年度の準備など、特に寒い中忙しくなり大変だろうと思いますが、村民は職員の皆さんを頼りにしています。

 また、皆さんはそれぞれの大切な人生ですからワークと、ライフをバランスよく、かぜなどを引かずによろしくお願いして年頭の訓示に致します。ありがとうございました。

 

平成30年1月4日 菅野 典雄