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平成29年度 年度始め訓示(平成29年4月3日)

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年4月3日

飯舘村長 菅野典雄

 皆さん、おはようございます。

 長泥を除いてですが、いよいよ避難が解除された年度のスタートです。

 年間210億の事業遂行の年度のスタートでもあります。何人子どもが戻っていただけるかという難しい学校再開の準備を進める年度のスタートでもあります。つまり、とてつもなく大変であり 重要であり、かつ歴史に残る年度になるだろうということです。基本的なかじ取り役ぐらいしか出来ない私ですので、門馬副村長、中井田教育長、そして職員の皆さん、どうか私を助けていただきたい。

 そして、さらにさらに私を助けていただきたいのは、いろんな形で村に応援に入っていただいているたくさんの方々です。家庭や家族を残されての応援などの方も多く頭が下がります。でも飯舘村は、この6年に及ぶ避難生活から何とか復興したいんです。助けてください。手伝ってください。心からのお願いです。よろしくお願いします。

 私自身も自分をふるい立たせるつもりで、何度も何度も「解除は、ゴールではなくスタート」「そのスタートは0に向かってのスタート」と口に出してきているところです。なにわともあれ、「チーム飯舘」のつもりでよろしくお願いします。

 まず、これからの復興の基本的な考え方には2つあると思ってます。

 その1つは、村民の心に宿っている「被害者意識をどう自立の気持ちに意識を変えてもらうか」だろうでしょう。とてつもなく難しいことですが、この災害によって、得たものもいくばくかはあるはずですから、そのところに少し思いを致しながら、自分の人生は自分で組み立てていくという考え方にならない限り、被害者の気持ちからぬけられない一生を過ごすことになりましょう。

 もう1つは、全村民避難させられたというこの村の現実を、うまく活用してどう生かしていくかです。むしろ逆手にとって、普段なら出来ないことをやってやろうという考え方に私たちが変わっていくことが大切だろうということです。そのような考え方をもって 復興のスタートを切ることになりますがここでもう1度、村の復興計画のコンセプトである「ネットワークの村づくり」と 私がかってに言い続けている「心のシェア」の言葉をここでもう1度かみしめてみる価値があるのではないかと思っています。

 人と人とをつなぐのは、あくまでも「心」のはずです。もう一度「金」から「心」に軸足を置くことです。村の中には元々、脈々とあった「お互いさま」の心をもう一度、今風に作り変えていくことが大切です。

 基本的な2つの考え方を話をしましたが、次に現実的な課題は次の3つと考えています。1つは、荒れてしまった農地や山林などの環境を使いながら「なりわい」をどう組み立てていくかでありましょう。

 2つ目として、6年間の長きに渡る避難生活によって変わってしまった「生活環境」なり「コミュニティー」をどう整えていくかにかかっていると言ってよいでしょう。

 そして3つ目は、放射能災害という特異性の災害の中で、「学校再開」をどう組み立てていくかが、私たちに求められている現実的な問題であろうと考えています。

 これらの課題を、課題としてしっかりととらえ、あるところでは殻を破っていくことが必要になってくることも多々あろうと思われます。私たちはこれまで、大変な中で、その殻というか型を破る、変えるということを結構やってきた村です。居久根伐採から昇口舗装、今回も「お帰りなさい」の看板などなど、何ほど国に普通なら出来ない型を破らせてきたか分かりません。そのためには、こちらの方も型を破っていくことや固定観念にとらわれないことが、大切になってきます。

 日本人は「ルールを守る」という点では、外国の追随を許しません。信号では止まり、車内ではマナーモードにし、ゴミはゴミ箱にです。東日本大震災後、瓦礫の下にうまっていた約5,700個の金庫、約23億円の現金がほとんど持ち主に届けられたそうです。あるいは、拾ったカバンをわざわざ時間を割いて、所定のところに届けてくれる・・等ということは、外国ではとうていあり得ないことです。すばらしい国民性であり、外国人から見れば、実にうらやましい国、日本であります。

 しかし、一方で「規則は守るが、あえて自分の判断でルールを破って局面を打開しようとしない」とか「ルールに従っていれば、きっと楽なんでしょうね」という声が聞かれるのも事実でありましょう。

 このことは、物事に出くわした時、考えない人が増えていくということ、新しいものに挑戦しようとしない人を増やしていくということにつながりかねないことです。この原発事故後の復興はこれまでの規則だけでは中々進まないことが多いことばかりです。

 したがって、固定観念にこだわらず、知恵を出し合い、柔軟な思考で事に当たっていくことがとても大切なことです。答えは右か左かという二者選択だけであるはずもなく、1つだけの答えということもないかもしれません。村民の方がよく言われる「元に戻らないから ダメだ」と言えば答えはゼロです。元に戻らない中で、どうするかと考えれば100点の答えにはなりませんが、2つ、3つ、答えが見えてくるということでありましょう。

 事に当たった時、単核的な考え方で、深く考えない人が多くなっていくということは、世の中が危ない方向に向かっていくということになりかねません。イギリスのEU離脱、アメリカの大統領選挙によるトランプ氏の当選、悪人は殺してもよい的なことを進めているフィリピンの話など。世界が自由と寛容の心を失いつつある流れが一方であります。この先、ますます偏狭な権力政治がまかり通るようでは、世界の危機がますます深まっていくことでしょう。

 一人ひとりの意見の違いを認め合い、自由と寛容の精神を高くかかげ 共生の道を歩んでいくことが何よりも大切なことでありましょう。

 特に一人ひとり捉え方が違う、この放射能災害、そして6年の避難生活によっての家庭の変化の中では、さらにこのような共生の考え方が必要なはずです。そこで私はあえて、「心のシェア」という言葉を使わせてもらったところです。

 60年以上、苦しんできている水俣では、「もやい直し」という言葉が生まれたそうです。船と船を綱でつなぎ合わせるように人の絆をむすび直すことが大切という所から「もやい直し」の言葉になったそうです。私が勝手に言っている「心のシェア」がはたして「もやい直し」の言葉になり得るかどうかは分かりませんが、放射能からの復興に当たっては、「心のシェア」は大切な心がまえではないか、ということが少しは分かっていただけるのではないかと思います。

 なぜこのような世の中になってしまったのかと考えると、どこの国も経済成長優先でひた走り、金に支配される世の中を作ってきてしまったという結果でありましょう。「金が無ければ生きていけない」は、その通りです。

 しかし。「カネを生まないのは無駄だ」という政治姿勢や人々の考え方の中では多くの方々が安心して生活し、生きる喜びが感じられる社会にはなっていかないということです。そう考えれば、この原発事故による避難生活はもしかしたら、私たち一人ひとりに「そこに生きる在り方」を問い直すきっかけをつくったと言えるかもしれません。ということで、村では先日の避難解除の宣言として「あたりまえ」のことが「ありがたい」と思う宣言をしたところです。

 2つ目の話に移ります。

 今だかつてない210億程の今年度予算の大方は教育施設の整備によるものです。村の将来を左右する一大事業でありますので、何としても4月開校に向け取り組んでいかねばなりません。1人でも多くの子どもが戻るようにしていかねばなりませんが、ハード的なことは教育長始め、多くの方々の努力によって大型予算取りが出来ました。「よくぞ」であります。

 日本は、歴史上かつてない程の物の豊かさに恵まれている一方で心の方は、極度に貧しくなってきているという皮肉な現象になっています。教育の目的は、あくまでも「立派な人間をつくる」であります。ですから、知育のみに偏ってきた従来の教育からもっとバランスのとれた人間づくりが大切なはずです。

 しかし、日本の学校教育は「覚える」ことが中心です。ところが世の中は「考える」ことを求めるように大きく変わってきてます。

 勉強法には、2通りありそうです。

 1つは「教育」という言い方、もう1つは「学習する」という言い方です。教育は「教育を受ける」というように受け身の言葉です。「学習を受ける」という言葉はありません。「学習」は自分で自発的に学ぶということになります。早く「教育される」のをやめて「学習する」ことに切り替える必要があるはずです。しかし、そこが分からない先生が結構多いというか、かなりというかであります。かつ又、「教育を受ける」「受けさせる」ことが大好きな保護者もずい分と多いということです。

 近頃、文科省から「アクティブ ラーニング」とかの言葉を耳にして何のことかと思ってましたら、何のことはない、知識の詰込みの教育から自ら学習意欲を習慣付ける教え方に変わっていかねばということのようです。今さらなんと遅きことかということですが、その事を文科省に気づかせるキッカケをつくったのが「花まる学習会」だということのようです。今年度から花まる学習会に飯舘村の教育現場に入っていただくことになってます。しかし、学習に導入するとなると、生優しいことでは、ないはずです。花まる学習会を入れれば「解決する」「進む」など単純なことではありません。それは、秋田県の東成瀬村の視察で十二分に分かったことでもあります。教育長なり、教育委員会、そして、村をあげていかに情熱を傾け、リーダーシップをとっていくかにかかっているということを学んできたからです。人当たりのいいことだけでは何も進まないはずです。

 今、私はこんなことを考えています。

 「いいたてならではの五育で、心の豊かな子どもたちを」というキャッチコピーが出来ないかと。五育とは、食育・読育・木育・そして笑育が入り、5つ目に「花まる育」ということです。そのような分かりやすい言葉で先生や保護者、そして村民、いや、村外の親子に問いかけて、村外の子どもをも入ってくる位の動きをしていかねばならないものと思っています。

 知識を暗記などで覚えるということはスマホやネットで事足りる時代になってしまいました。

 問題を発見する力・解決していく力・つまり、「アクティブ ラーニング」が必要になってきます。これからの教師は、子どもの考え方を引き出すコミュニケーション能力、そして多数の意見をまとめていくファシリテーション能力、人を引き込むコーディネート能力などが必要になってきます。つまり、これからの教師には「授業をデザイン」するという力が求められるということです。教室の中のあり方を変えていかない限り、「アクティブ ラーニング」は絵に描いたモチになる可能性も出てくるはずですから注意していかなければなりません。いずれにしても、教育にかかわらずですが工夫もアイディアも必要ですが、保護者に対し、先生に対し、そして村民に対しても「見える化」をどう分かりやすく進めていくかが大切でありましょう。

 3つ目の話に入ります。

 銭湯代にも、事欠く状態の松下幸之助氏が二股ソケットを発明して息を吹きかえしたという話はつとに有名な話です。つまり、天井から下がる電灯ソケットが唯一の電源であった時代がありました。多分、ほとんどの若い職員は黒いソケットが部屋の真ん中に下がっているというイメージが湧いてこないことでしょうが。

 そのソケットから2箇所で電源が取れないかというアイディア商品が二股ソケットという訳です。松下幸之助氏の話は、これまで「こころのポケット」にも書いてきました。成功の秘訣は「身体が弱かったから」「学力がなかったから」そして「貧乏だったので」であります。考え方次第で不利な条件を成功の要件に変えてしまえば道は開いていけるという話です。彼から他に何かヒントがないかということで、2つ程話のひもをといてみたいと思います。

 1つは、「水道哲学」という有名な話です。

 彼にも何を作っても品物が中々売れない時代があったそうです。そのような時、ある宗教団体の本部を見学した時にヒントを得たという話です。喜々として無償の奉仕をしている信者を見て「なぜ、お金をもらわずして、幸せそうな顔をして働いているんだろう。うちの会社では、給料をもらいながら働きの鈍いのがいたり、何のかんのと文句を言う者もいるのに」と思ったそうです。つまり、物質的な豊かさと精神的な豊かさ、人間にとって、どちらも必要ということで事業は単なる「金もうけ」だけに走っていてはダメなんだなと思ったんだそうです。そこまでは、何となく私たちもよくよく考えればその考え方に近づけそうな気もします。松下幸之助氏は、その精神的なものも大切というところからのちに有名になった「水道哲学」と呼ばれるような考え方を全職員を集めて訓示をしたということです。

「なぜ、水道水は通行人がいくら飲んでも、とがめられないのか」と。

「それは、量が多く、価格が安いからだ」と。「じゃあ、製品も水道のごとく、豊富につくり、かつ安く生産されれば、人々に幸福をもたらすことが出来るはず」とテーブルを叩きながら、小さい身体を震わせながらの話しぶりだったということです。

 お分かりでしょうか。そこから戦後日本の経済を飛躍的に発展させた大量生産、大量消費、大量廃棄の経済システムをつくり上げるきっかけを作った訳です。

 今から約80年前位の話です。もう時代が変わってきてます。今、飯舘村ではこれからの時代は、その大量生産、大量消費、大量廃棄のシステムを「までいライフ」に切り替える必要があるのではないかという試みをしているところだったのです。全村避難によってこの「までいライフ」もずい分、広めされつつあるようになりましたが。

 もう1つの話は、60年前頃の話です。

 家庭用のビデオテープがスタートし始めた頃の話です。ソニーの「ベーターマックス」と弱小会社であるビクターの「VHS」のどちらを日本の規格にするかとう壮絶な闘いがあった時代のことです。私などなんとなく、うる覚えがある話です。

 どちらが良いと思いますかと聞かれた松下幸之助氏は、「ベーターは100点です。でも、VHSは200点や」と言って規格戦争に決着をつけたことがあったそうです。ベーターの方がはるかに性能はよかった。しかし、重かった。一方、VHSの方は性能は「いまいち」だが、小型で軽かった。お客さんは自分で持ち帰ることを考えた時、どちらを買うか。当然軽いほうだろうという、独特の考え方をもっていたということを「100点、200点」という言葉で表現して決着をつけた。今で言えば「キャッチコピー」の話でありましょう。枕詞をどう付けるかも大切だということが分かる話でありましょう。

 もう1つは、考え方をこり固めてしまっては、ダメだということでもあります。我々、公務員は「最小の経費で、最大の効果を」とまず学ばされます。全くその通りです。特に近頃の村の大型予算の中では、少し感覚がずれてきてはいないか、と心配な面がありますので、もう1度「最小の経費」を頭の中にたたき込む必要があるなと、私も思っているところです。

 しかし、「最小の経費で最大の効果」が生まれない時もあるはずです。その時は、どのような理由をつけ、理論づけてより多くの予算をつけてもらうかも大切なことだろうと思っています。私は、嘱託館長の身分でありながら最大の効果を生むには、この位の予算が必要とのやり取りを上司となに程やらせてもらって予算をつけてもらったか分かりません。避難に遭ってのこの6年間も今度は国に対して昇口舗装やおかえりなさい看板など、最大の効果を生むには、最小の経費だけでは効果が上がらない話をして予算を確保してもらってきました。約2000万円近くのブロンズ像や木彫を「ふれ愛館」に入れたことに対しても随分、異論を唱えた村民が居たということは周知の通りです。今度の避難指示解除に当たっての2000万円の広告料も これから異論の出ることも予想されます。しかし、この6年間、飯舘村に何万人という方の物心両面のとてつもない支援があったということを考えれば、感謝の心を表すのに2000万円は決して多いとは言えないはずです。むしろ飯舘村の心が伝わってプラスに働き、これからさらに最大の効果につながるということも十分考えられるはずです。

 久しぶりに出た日本人の横綱の場合、ちょっと違っていますが、今までですと強いはずの横綱が負けると観客はウワーと盛り上がっていました。つまり。強いはずの者が倒れると、日本人特有の弱いものびいきの気持ちがはたらくからです。しかし、一般的な会社では「社長の意見は絶対」であり、「言うことを聞かなければならない」のはずです。でも、時には「社長の考え方はおかしいですよ」とか、「こういう方がうまくいくんじゃないですか」ということがあって「あ、そうか。そうしよう」の雰囲気のある会社が伸びる会社であるはずです。松下幸之助語録にも、そのような話はありました。私も全く同感です。近頃、絶対と言われた大会社が絶対絶命という話もあることです。社長とて、首長とて、全知全能ではありません。どんな人間であれ、欠点も短所もあります。一社員のものの見方が社長より優れているということも当然、ありうることです。

 つまり、すべての人が提案し、良き提案が用いられていく、ということが会社が発展していくということでありましょう。村長として、肝に銘じていかねばならないことと思ってますし、これまでも、それなりですが肝に銘じてきたつもりでもあります。この災害からの復興にはそういうことが、大切なことと思っていることをお伝えして、避難指示解除スタート年度の訓辞とします。長い間、ありがとうございました。